一般住宅における
なるほどチタン施工事例
チタン屋根の可能性が、ブレークスルーをもたらした
国宝彦根城の濠のすぐそば、天守閣も一望できるという素晴らしいロケーションに、この夏、個性と創意に溢れる個人邸が新築されました。
米杉のムク板を使った外装に、端正に施工されたチタン一文字葺屋根が似合うモダンなたたずまいです。
設計は、木下光氏+小川文也氏+前谷吉伸氏。
大学院建築学科の子弟関係から誕生したユニットで、施主様のご要望と、建築家としての理想を可能な限り追究したという渾身の作品がこの個人邸です。

このたび、3氏からじかにお話を聴くことができましたので、計画から竣工に至るまでの一部始終をレポートします。
■台形の敷地に理想の住まいを
 この個人邸新築計画は5年前にさかのぼります。
 施主の北川様の当時お住まいが、新たに建設される都市計画道路にかかるということから、「代替地に移転してもらうことになるかもしれない」という話が、彦根市から持ち込まれました。
 幸いにも代替予定地は目と鼻の先だったのですが、その形は何と台形。
 2つの角は直角ですが、残る2つの角が鈍角と鋭角という変則的なもの。4面のうち鈍角を挟んだ2面が、その新しい都市計画道路に接していました。
 敷地面積は、当時のお住まいと同じ約70坪。
 台形の土地でもこれだけあれば、余裕をもった家づくりが可能ですが、北川家の家族構成はご夫妻と成人された息子さんの3名。もし移転するなら、ご夫妻が暮らす1棟のほか、息子さんのための1棟も同敷地内に建てたいとのお考えでした。
 台形の土地に2棟を建てる。はたしてそれで満足のいく家ができるのだろうか。また市からは、もしこの代替地では困るということならば、ということで郊外の別の代替地も呈示されていて、そちらにも多少食指が動いていただけに、どうするべきか決めかねられていました。

 やはり設計の専門家に依頼した方が得策ではないか。
 そういう思いを抱かれた北川様が、前谷氏に声を掛けられたのが話の発端。実は北川様は前谷氏のお父様と古くからのご友人で、家族ぐるみの付き合いをされていたという間柄です。まだこのとき、前谷氏は大学院で建築を学ぶ学生でしたが、北川様としては子どもだったころからよく知っている前谷氏に、「1つ勉強の機会をつくってやろう」という気持ちで話を持ちかけられたのです。

 意気に感じた前谷氏。北川様へのヒアリングを始めるとともに、大学院の師である木下氏にも相談。木下氏をリーダーに、大学院で1期上に在籍中だった小川氏も加わり、土地選びも含めたこの新築構想に着手しました。

 代替地の選定に関しては、彦根城のすぐ近くというロケーションはまず得難いものであり、生活インフラが整い、長らく住み慣れた現在地を離れることはプラスにはならないということから、郊外ではなく最初の候補地がよいとの結論。
 そうなれば、設計は変則的な敷地の形状との闘いになりますが、新進気鋭の研究者であり、「研究と実践に垣根をつくってはならない」が持論という木下氏のリーダーシップの下に練り上げられたプランは、北川様ご一家にとっても非常に満足のいくものでした。
 ただし、この時点では移転の話が決まるのは、1年後なのか2年後なのかもわからないという状況でした。





■家族構成の変化で、着手直前に設計を変更
 2006年10月、彦根市から正式に移転の要請を受け、いよいよ北川邸新築プロジェクトがスタートしました。
 ところがこの間に北川様の家族構成が変化していました。息子さんが結婚され、お子様も誕生し、できればもう1人は欲しいのとご希望でした。当初のプランは3人家族という前提で組んだものでしたから、見直しが必要になりました。

 ただ、プランを練り直すにしても、単純に部屋を増やすということでは、予算をオーバーしてしまいます。最初のご希望通り2棟を建てるとなると、とくに壁と屋根の予算が厳しくなります。そこで、「いかに質を落とさずに良い建物を、ということを考えると、1棟にした方がいいのではないか」と提案。快く了解が得られました。
 親子二世帯の大家族が暮らすということで、いちばんの課題は床面積の確保。北川様のご趣味が車ということもあり、駐車スペースも2台分+αが必要でした。
 やはり台形の敷地をどう活かすかが大きな課題。しかも2辺が新しい道路に面していて、その道路は車の往来が激しいと想定されました。ですから、騒音の問題やご家族の安全にも十分な配慮が必要でした。何十個も模型を作って、ああでもない、こうでもないと議論が深められました。

■プラン変更の成否には、屋根が鍵を握っていた
 3氏の到達した結論は、「新しい道路に面する部分は、ギリギリいっぱいに建てる」というもの。すると建物も台形にならざるを得ません。
 一方、北川様では、当初から耐久性を重視されていました。いずれ家は息子さんに引き継いで欲しい、しかし息子さんに負担をかけたくない。だから5年、10年で修理が必要になる家にはしたくない。そういう北川様が理想とされていたのは瓦屋根。「今はどう考えても瓦がいちばんもつ」という思いからです。
 ただ、瓦を載せたくても、台形の建物は屋根も変型となるため既製品の瓦では難しく、どうしても特注品になりコストもかなり割高となります。
 それに加えて、新しい道路に面する部分をギリギリいっぱいに建てるということから、軒の長さは抑えなくてはなりません。しかし、軒が出てこそ瓦屋根。軒の短い瓦屋根は決して美しくありませんし、近所の家々と軒のラインが揃わないなど、周囲の景観を乱す要因にもなります。

 3氏は役割を分担し、瓦についても最後まで可能性を追い求めるべく調査を続けつつ、「瓦に匹敵するか、それ以上の耐久性をもった屋根材はないだろうか」という観点から、他の屋根材についても研究を開始しました。
 このとき瓦に関しては、地元で有名な八幡瓦(近江八幡)のほか、三河や淡路などの瓦産地にも足を運び、本当に耐久性のいいものは何かという視点で模索されたといいます。

「こうして3人で屋根材を探る中でチタンと出会ったのですが、実はその発端は瓦からでした。瓦を調べていくうちに浅草寺・宝蔵門の屋根がチタン瓦で改修されるという情報をキャッチしたのです。それで、チタンが屋根に使える、ということを知りました。チタンなら他のどんな屋根材よりも耐久性にすぐれています。
 ただ、非常に興味をもったものの、じゃあ自分たちも使えるのかというと、まず無理だろうと思っていました。チタンをどうして仕入れたらいいのかもわからない。個人邸に使うくらいの小ロットでは供給してもらえないかもしれない。値段も非常に高いかもしれない。チタンで屋根を葺ける技術者なんているのだろうか。思い浮かぶのはマイナスの可能性ばかりでした。
 ところが、実にラッキーなことに、新日鐵に勤務している学生時代の同級生と、そのころ偶然、再会したのです。新日鐵といえば浅草寺にチタン屋根材を供給した新日鐵です。それで彼に事情を話し、チタン建材の担当者につないでくれるよう依頼しました。
 それで新日鐵大阪支社の山崎マネジャーを紹介してもらい、その山崎マネジャーを通して田原板金さんをご紹介いただきました。このお2人には本当によくしていただき感謝しています」(木下氏)
■チタン屋根との出会いで課題が氷解
 この偶然の出会いから、当初思い描いていたマイナス材料はすべて杞憂に終わりました。チタン屋根材の価格にしても、思ったより安かったとのこと。田原板金さんは、佐川美術館茶室、時雨殿、春日神社など、チタン屋根の実績が豊富で、技術にも定評があります。

 北川様が当初、瓦を希望されたのも耐久性という観点から。もちろん住宅の屋根には瓦を載せたいという思いはおありだったようですが、瓦屋根にしてもいずれメンテナンスや葺き替えが必要となります。ところが北川邸の場合、すぐ横を新しい道路が通るため、メンテナンスや葺き替えで足場を組むにも、道路占有の許可を取らなくてはならないなど、非常に大がかりなものとなってしまいます。限りなくメンテナンスフリーに近いチタンが使えるとなると、もはやこれに勝る屋根材は考えられないという結論に至りました。

 また、彦根市には景観保全の条例があり、彦根城周辺の指定された地域内は陸屋根(平らな屋根)にすることは禁止されています。条例の趣旨に照らすと、チタン屋根にするにしても、たとえば一文字葺で勾配をとったようなオーソドックスな形の屋根ということになります。そういう意味においても田原板金さんを紹介されたことは非常にありがたかったと木下氏はおっしゃいます。

「一文字葺の場合、スタートポイントをどこに置くかというだけで、葺き幅が変わってきますし、それによって仕上がりの美しさにも影響が出ます。そういう微妙な作業を田原さんは実に巧みにこなされました。建物が台形であるため、屋根も変型の方形になりますが、その場合はハマグリも1つ1つ作り込んでいかなくてはなりません。そういう丁寧で根気のいる作業にも田原さんの腕がよく反映されたと思っています。もしハマグリがうまくできないとなると降棟を載せることになりますが、そうなると一文字葺の美しいラインが台無しになるので、それは避けたいと思っていました。
 また、壁面はムク材を横使いにしていますが、こうして屋根で一文字の連続した美しい線が出せることによって、屋根のイメージがそのまま壁につながるというデザインを実現させることもできました」
田原板金施工による端正な一文字葺チタン屋根。
ハマグリも変型という形状に合わせて丁寧に作り込まれました
■「作品はわが子」という思いが、よい建築を創る原動力に
 施主様のご要望に忠実でありながら、土地の形状、立地、条例との兼ね合いなど数々の制約を克服、なおかつ将来のメンテナンスなども見通して建設された北川邸。さまざまな積み重ねの上に、理想の家づくりのモデルと呼ぶべき住宅が誕生しました。
 実は施主である北川様ご本人は、当初「チタン屋根」と言われてもなかなかイメージがつかみにくかったとのことですが、完成した姿を見て今ではたいそうお気に入りのご様子です。
 木下氏もチタンの耐久性やチタン一文字葺美しさとあいまって、チタンそのものの質感も高く評価されています。

「他の金属屋根材とは光の反射がまったく違う。チタンのテクスチャーにもたいへん魅力を感じています。また耐候性にすぐれているため、美観面でも経年変化にも耐え得るものだと期待しています。
 建築家にとって自分の設計した建物はわが子のようなもの。自分よりも早く壊されるというのは堪え難いことです。代が変わっても、たとえ持ち主が変わっても、愛着をもって住み続けてもらいたいですし、素材にこだわりデザインにこだわるというのも、いいものだから惜しい、と思ってもらえることで、少しでも壊される可能性を減らしたいという願いがあるからなんですね。
 今回の仕事では、使えないと思っていたチタンが使えたこと、そしてその施工において人間の手仕事の味が活かせたことに満足しています。また、土地選びの段階から参画することができましたが、このように最初からトータルに関わった方が建築家としては能力の出しがいがありますし、施主さんにとっても大きなプラスになると思います」

 一般住宅でも採用が進むチタン建材。そのバックボーンとしては、今回の事例のように、施主様の立場に立ち、いつまでも愛着をもって住み続けられる「よい住宅」を追究する建築家の方々のご活躍が大きいようです。
 今後とも、弊社では新日鐵と連携し、高品位なチタン建材を、全国どこへでも必要な場所に、必要な量を、タイムリーに供給できるよう努めてまいりますので、是非何なりとお気軽にお問い合わせください。

完成後間もない北川邸。
写真手前の2面が、やがて建設される新道に接することになります
変型の方形屋根であるために鋭角になる角(左側)と鈍角になる角(右側)ができますが、美しいラインに仕上がりました